おはようございます。
11月1日、道立室蘭清水丘高「1年次社会人講話」にお招きいただきました。
まずは、このような貴重な機会を与えてくださいましたこと、厚く御礼申し上げます。
また、そのときの模様が、NHK北海道でも取り扱われていますので、こちらもご紹介します。
この講話に対する思いなど、詳しいことについては、
私個人のFacebookページに記しておりますが、
こちらのページでは、学生さんから頂いた質問や、
実際お話をさせていただいたことについて書いていきます。
いただいた質問から
Q:どうして塾を開業しようと思ったか
A:集約すると次の3点です。
①「人それぞれのストーリーを大切にしながら、その語らいの中で新たな発見が生まれる」って、面白いということを伝えたい。
②ただ「勉強ができる」のではなく、「学びを活かす」という場を増やしたい。
③「してもらって当たり前」「してやってるから当たり前」ではなく、平らな視点で「必要があれば自分でも動く」「動ける仲間を増やす」という考え方を、将来の担い手に伝えたい。
Q:室蘭での創業のいきさつは
A:長くなりますが、時系列に従ってお話しします。
私は、北海道の東側・網走市で生まれ育ちました。今でこそ監獄や流氷などの観光資源が着目されてきていますが、当時は皆、何かいいものを買いに行くとなれば、車で1時間かけた北見市まで行くことも少なくありませんでした。それどころか、オホーツクで足りなければ旭川、札幌まで行くということも。しかし、我が家の場合、あまり遠出する家庭ではなく、最初こそ級友たちの土産話を楽しんでいたのですが、だんだん「自分の地元にそういうものを招致したりできないのかな」「自分の地元でもそういう場所はないのかな」と考えるようにもなってきました。
やがて、ご縁があって室蘭に赴任したのですが、北海道、ひいては日本の産業革命に欠かせなかったこと、そしてその営みが今も目に見える形で残っていること、さらには豊かな自然に囲まれた特徴的な地形に魅力を感じました。産業構造の転換などにより、人口はピーク時の半分以下になりましたが、だからこそ、それらを大切にしよう、発信しよう、という人たちがいて、その関わりの中で、私もできることはないか?と考えるようになりました。
同年代の人達は、どういうことに喜びや楽しみを感じるのか。そして、それは地域としてのものになるのか。
実際、そういった話を聞きたくても、もともとあったコミュニティの外にいる人間は、話を聞きに入ることが難しいのが、この地域であると知りました。前職では仕事柄、海のある街で勤務していて、繁華街ではその場にいる人がみんな一丸となるような場面も少なくないと感じました。地元に近い紋別はもちろんのこと、大学時代を過ごした小樽も、わずかしか勤めることができなかった函館も。しかし、ここではあまりそんな空気がなく、旧来の知り合いが何ブロックにも別れていて、それが崩れることがないという感覚です。10年過ごした今でこそ、「ああなるほど、そりゃそうかもな」と感じるようにもなってきましたが(何がどうだ、というのは、個別に聞いてください)、しばらくそれに慣れるのが、今だから言えますが、しんどかったのも事実です。
他方、そういう、地域の特徴やひとの気質は、程度の差はあれど、どこでも起こりうる話だと感じたのも事実で。
ではその上で、自分達がなにを大切にして、誰とそれを共有して、どうやって生きていくのか。
良くも悪くも、自分が育ってきたバックグラウンドを理解しないまま進んでしまうと、地に足がつかなくなる。
ましてや、価値観が多様化するいま、周りに流されてばかりでもいけないし、自分をゴリ押ししてばかりでもいけない。
いろいろなことを私に教えてくれた室蘭のマチで、自分ができることをもって、少しでもプラスになることができれば。
自分の経歴や適性を棚卸した結果、「塾」という形で「一緒に考えていく人達」というコミュニティを作れないか?と考え、創業しました。
夢や目標は十分に変わりうる
「夢を持つこと」が義務?
こういうキャリア教育に直面すると、そう思う学生さんも、少なからずいらっしゃいます。
無理もありません。
学生生活の途中から、「主体的・対話的で深い学び」と言われても。
たとえば幼少期のノートづくりや答案づくりに「ていねいに」と書かれてしまえば、
「見た目を美しく」と連想し、計算スペースが与えられていても消してしまったり。
はたまた、「考えて書きなさい」「考えて答えなさい」と言われて、一生懸命考えたのに、
「そう考えたのね」と受け止めてもらえずに、
「それじゃ伝わらない」「そう考えてはダメだ」と否定から入られたり。
いや、これ、社会に出ても同じことが起きてるんですよ。
わからないから仕事について質問している。
全て教えてくれるのは学校までだ、自分で考えろ、と突き返される。
考えた結果を確認しようとすると、「どうしてそう考えるかな〜」と呆れた反応をされたり、
「だからダメなんだ」と頭ごなしに否定されたり。
まあ、結果を出さなければならない厳しさというのはありますし、
それは質問する側だって十分承知の上、恥を忍んで質問している部分もあります。
ようは、考える余地、受け止める余地がないまま、
「さあ自分で考えて行動してごらん」と言われて、実際、自信を持って行動できますか?ということなのです。
だから「夢がないとダメなのか?」という思考にもなるわけです。
試行錯誤の中でこそ
大人も子供も、いろんな事情の中をどうにかこうにか生きているわけです。
理想の姿を持つこともよいのですが、まずは「自分ができること」に目を向けることができるといいですね。
その「できること」を整理して、理想に近づけるためのステップを考える。
我々大人は、その苦労と、うまくいった・いかないにかかわらず、その結果、そしてそれを次につなげる姿を、見せてあげたいものですね。
最初からキレイになんでも片付くわけではない。
最初からすべての理想が叶うわけでもない。
それを面倒臭いと思うか、だからこそやるぞ、と思うか。
最後は自分自身にはなりますが、そのために周りの人のサポートも、示唆しか与えられないにせよ、あったほうがいいですよね。
その過程で、目標の修正を迫られることは、ままあることです。
理想が叶わないとわかったら、その中でモアベターな選択肢を探していくことです。
もちろん人間ですから、絶望感に苛まれることもあります。負の感情に引きずられることもあります。
でも、いつまでもそうしてもいられない。
そんなとき、なんでもいいので、「這い上がる」「立ち上がる」というイメージだけでも、心の中に描いてほしいと思います。
「たのしい」だけでは長続きしない
目的を見失わないように!
「さあ、やるぞ」で立ち上げて6年。
「あなたが選んだ道なのだから」と言われればそれまでなのですが、
ここまで来るのは、ものすごく大変でした。何がどうとかは言えないのですが、それはもう、必死でした。
どういうわけでしょうか、「必死」なところを見せると、「何必死になっちゃってるの」「それだからダメなんだよ」という方も少なからず見えるようになります。無論、自分でも薄々ダメなところは気づいているのですが、それを「ふまえて」モアベターにする、という思考で動いていることまでは、理解してもらえないことが多くありました。
そもそも、こんなことを書くから人が離れるんだ。
と言われるかもしれません。
ですが、そういうリアルを伝えるのも、「センセイ」と呼ばれる者の役目でもあると思うのです。
「理解してもらえない」と「言い切れば」、確かに人は離れていきますよ、そりゃ。
でも、「理解してもらえない」現状をふまえて、「どうしたら理解しあえるのか」と行動するのは、話が別だと思うのです。
そして、そこに限界があるとしたら、どこがボーダーラインなのか。それは努力で超えられるのか。
そういう、複数の視点から、自分を客観的に検証できる心の状態にすることも大切です。
この視野を保つには、「何のためにその活動・仕事をしているのか」つまり「目的」を見失わないようにすることが必要です。
「楽しい」も「ワクワク」もOK。大いに結構。
でも、そればかりだと、現状認識を定期的にしないと、「(自分だけ)こんなに頑張っているのに・・・」となってしまいます。
ふとしたときに
なぜ自分がその生き方をしているのか、なぜその仕事をしているのか、なぜ勉強しているのか。
ちょっとだけでもいいので、わからなくてもいいので、自分に問いかける時間を持つとよいでしょう。
私も、やり方を何度も変えてきていますし、これからもそうしていくことになるでしょう。
室蘭・輪西の塾としては6年続いていますが、それは実は「現状認識」→「実践」→「検証と反省」の積み重ねであり、ひとつひとつが違うことだったりするのです。理念、プロセスの大枠は変わらずとも、実践していることは変わってきています。
一人でこの仕事を回さなければならない事情があり、その中で皆様にご理解をいただきながら、どういった形で塾として運営していけるのか。効率と、公平さを保った中で手をかけていくこととのバランスを、どう保っていくのか。今実践しているLINE小課題や質問窓口なども含めて、日々試行錯誤しています。
「どんな課題があって」「どう解決していくか、または解決すべき程度は」「そのために何をするのか」
この問いかけは、忙しい時ほど、やったほうがいいかもしれませんね。
伝える一方になっていないか
今回は役目ではあるので、お話させていただくことのほうが多かったのですが、
本当はもっと一人一人の声を、考えを、聞かせてもらいたかったという思いもあります。
私一人だけ話してスッキリとするのは、何かが違うと思うからです。学生さんたちにも、自分達でできることはないか、ということに気づいてもらい、それを聞かせてほしい、と思っています。
そういった面から、20分の中で私も、話の流れや内容をもっと考えたほうが良い、と気づきました。
来年もしお招きいただけるなら、このあたりももう少し詰めてリベンジしたいと思います!