20230815 子どもの学力向上を支えるための3つの前提

こんにちは。

北海道・室蘭市の学習塾・フリースクール
「共生舎」の髙橋です。

お盆シーズン真っただ中、北海道も猛暑に見舞われていますが、
皆様お変わりありませんでしょうか。

さて、北海道では、夏休みもそろそろ終わりに近づいていますね。

にもかかわらず、
「まだ宿題が終わっていない!」
「もう声掛けするのも疲れる…」
というお子さんの状況を見て、ガックリしている保護者さんも
いらっしゃるのではないでしょうか。

毎回、こちらのコラムでは、
お子さんのやる気アップのための大人たちの心がけを
書き記しているため、今回も「またか?」となるかもしれませんが、

今回は
「子どもにやる気を芽生えさせるための前提」に焦点を当て
お話させて頂きたいと思います。

ここに書かれている感情的な部分については、
誰しも思ってしまうことがあるようなことでしょう。
そして、その気持ちも、私も多くのお子さん、保護者さんとのかかわりの中で
理解できるところがないわけではありません。

感情的になることのすべてが、否定されるものではありませんし、
家族や近しい間柄であるからこそ、ぶつかり合うこともありえることです。

そのことを念頭に置いてはいますが、だからこそ
「子どもにはこう見える」というところを強めに書いていますので
前もってご理解のほどよろしくお願いいたします。

なお、同じ内容は「マイベストプロ北海道」にも
記載してありますので、こちらもご覧いただけると幸いです。

前提1 子どもにも、自分としての人格があること

見た目は子ども、頭脳(神経)は大人…!

人間の脳は、感覚や神経を司る領域の発達が最も早く、
一般的には、6歳ですでに成人の90%以上の発達が見られるとされています。
12歳ごろには成人とほぼ同等水準。

もちろん、発達には個人差がありますが、ここで言いたいのは、
一般的な発育モデルとの差ではなく、
「神経領域の発達は身体より早い」ということです。

「対等な人格」と「保護対象」

無論、保護者や監督責任を負う者として、好き勝手な行動で迷惑をかけることについては
教育的指導が必要な場面は、いくらでも生じてしまいます。

しかし、気を付けたいのが、
子どもではどうしようもできないことを突き付けてしまうと、
自分で考える力を失わせる結果につながることです。

 

たとえば、子どもから反論されたときに、
だれのおかげで生活できていると思っているの?」というメッセージを発してしまうと、

どうせ考えて発言しても無駄
それならとりあえず従ってさえいればよいのね

などという考え方を生み、

自ら主体的に広い視野を持って考えることを放棄するばかりか、

望んで世話をしてもらっているわけではない」という、
親や保護監督責任者への不信感につながります。

 

また、「子どもはいつでも親の言うことを聞くのが当然だ」という考え方も要注意です。

まず、子どもにとっては、「言うことを聞く」という言葉を、

1「耳を傾ける」ととるのか、

2「言いつけとして理解して守る」ととるのかを、

特に言われはじめの段階では、区別できずにいることでしょう。

そして、厳密には生まれた瞬間から親と全く違う個体として生きているわけですから、
100%親たちと同じ性格である、同じ生育環境であるということはありえません。

 

そのため、親や大人が自分の常識を振りかざしたところで、

子どもがただちに「自分事」としてとらえることができるか?

ということも、理解しておく必要があるでしょう。

 

つまり、子どもが「守られる対象である」ということは、

1 子どもにも人格があることを理解した上で、
2 経験や能力の不足について、自転車の補助輪のイメージで補いながら、
3 最後は自分のバランス感覚で自らの人格を立てていくための環境を整える、

ということになるのではないでしょうか。

前提2 自分の経験が全てだと思わないこと

自分の苦労は、後進の者もして当然?

ついつい、大人として、年長者として
「~してはいけないよ」「ダメだよ、~したら」
と言いたくなる場面があるのは、否定できないものです。

まあ、やんわりたしなめるならともかくとして。

「古き良き時代」と言われている?昭和世代からは、
怒られて育てられるのが当たり前になっている人も多いためか、
今でいう「パワハラ」に該当する人事教育が通用しなくなり、
「軟な人が増えた」という声もよく耳にするものです。

子ども、後輩、部下などとかかわる時に、
「自分がしてきた苦労は、自分とかかわる年少者もすべきだ」

なんて気持ち、どこかに隠していませんか?

 

「自分さえよければ」

世の中、自分さえよければ、という人ばかりになった
という話もよく耳にするようになりました。

そして、だからこそ昔のような教育が必要だ、
他者を不快にさせる個性の尊重は、自分勝手の助長だ、とも。

ちょっと待ってください。

自分たちがしてきた苦労で、消化しきれなかったものを

下の世代に引き取らせるのであれば、それも「自分さえよければ」という

考え方に当てはまってしまうのではないでしょうか。

 

「アイ・メッセージ」

相手の自分勝手な行動に迷惑したというのであれば、
主語を「世の中」や「一般論」「普通」などと大きくしたりぼんやりさせずに

「私は、あなたの〇〇という行動が見ていられない。
 なぜなら、私は△△ととらえたからだ。」

というように、「自分はどう思った」ということを伝え、

「あなたはどうして、私に〇〇という行動をしたのか。」

と、主語をできるだけ「私」と「相手」の当事者間に絞ることで
相手が自分のこととしてもシンプルにとらえやすくなります。

自分(I)を主語とするメッセージ。
相手の人格を認める話し方には、この視点は欠かすことができないでしょう。

 

「冷酒と親の小言は後で効く」

この言葉、ご存知でしょうか。

最初はキリッと冷えて、種類によっては辛味がこみ上げる、冷たい日本酒も、
その清涼感を味わっているうちに、あとから酔いが回ってくるように、

若さや経験不足などで理解できずにいた、親などの説教についても、
年齢や経験を重ねることで理解できるようになる、ということです。

つまり、そのぐらい、自分が親として、年長者として言った言葉が、
後々になって響いてくるということですから、

知識や経験不足をあげつらって「〇〇な子だね」と吐き捨てたり、
「誰に育ててもらっているんだ」などと言って心の余裕を奪ったり、
あるいはこっぴどく叱ったあとのフォローをせずにいたりすると、

そのネガティブな側面が、ネガティブな感情が、
その子が大人になってから影を落とすこともある、
ということを自覚している必要があるでしょう。

 

前提3 言葉の裏側への意識を

一口に「勉強」といっても

現代のテストの出題のされ方は、昔のそれと大きく異なっており、
知識を詰め込むだけで、ある程度太刀打ちできるというものでは、
なくなってきています。

ということは、大人の観点からの学習という側面も必要になり、
それも自分たちが勉強してきたことではなく、
「実社会」を意識して「自立した大人」として
知識や教養を活用するという観点で接してあげることで
補えるものだといえます。

このことを無視して、テストの点数が低いから、ただちに「勉強不足」「努力不足」と
断定的な見方で、お子さんと接していないでしょうか?

 

心配だからといって…

親としての心配は理解できます。
私も自分に子どもはいないまでも、接する子たちが勉強しているかどうかは心配になります。

でも、「今やっている」「見えないところでやっている」
その言葉を信じようとして、部屋を見てみると、スマホばっかり…

ちょっと待ってください。

子どもにも人格があり、プライバシーはあります。
部屋には、一声かけてから入るようにしましょう。

そして、それを理由にリビングで勉強をさせる。
思うように手が進まない。そして叱る。

ちょっと待ってください。

昔みたいに、ひたすら書いて覚える、という勉強だけではないのです!

もしかしたら、見られている、口を出される(ネガティブに)という
変な緊張感が生まれていませんか?
「また叱られる」という刷り込みがされている状況になっていませんか?

親としても、最初はそうでなかったとはいっても、
「またやっていない」という観点で見てしまっていませんか?

そうすると、「勉強しない」という言葉の意味

1「親である自分の監視下において」

2「親が自分としてしてきた勉強の方法によって」

3「勉強しない」

という意味になるのですが、たいていは1・2が忘れ去られて3の「勉強しない」ということばだけが
一人歩きしてしまっている状態です。

これでは、子どもが「勉強している」という言葉を「信じてあげる」結果には、
どこからどう見ても結びつくわけがないのです。

 

私が塾・フリースクールで実践する声かけ案

では、先ほどの「アイ・メッセージ」を利用して、親や保護監督責任者として
どのようにお話を持っていくか、いくつか案を書き記したいと思います。

親や見守る者としての「心配」の気持ちを正直に伝える
・「私は、あなたが勉強していないのではないかと心配している」

やり方がわからない、などにはあくまで対等に
・「あなたがどのような勉強をしたらよいのか、私も一緒に考えたい」

やりたくない、勉強する意味がわからない、というお子さんに
・「勉強する意味?それも一緒に考えることができたらうれしいな」

ある程度伝えたところで、親や見守る者としての発言を止めます。

まとめ・参考文献

子育ても教育方針も人の関わることですから、
絶対的な正解というものは存在しないと思います。

しかし、ここまで述べてきました3つの前提

・子どもも一人の人格として認めること
・自分の経験が全てだと思わないこと
・言葉の裏側への意識

これらがどこかで、感情的に走りすぎる場合のブレーキとなったり、
広い視点で子どもを、後輩を、部下を育てていくことへの一助となってくれることでしょう。

本日も長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。
残り僅かですが、よいお盆・夏休みをお過ごしくださいね。

 

*参考文献


「やってはいけない」子育て 非認知能力を育む6歳からの接し方
 中山芳一、2023年、日本能率協会マネジメントセンター

犯罪心理学者が教える 子どもを呪う言葉・救う言葉
 出口保行、2022年、SBクリエイティブ株式会社

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