20200523 雑感

5月18日から、短縮営業を解除しつつ、家庭教師対応も行いながら、どうにか皆さんの予習や宿題のお手伝いをできるようにと営業しておりますが、時々あちこちでうかがうお話からは、学校に行けないことのマイナス面が、学習面だけではなく、生活リズムの変調などからくる精神面にも及んでいることを知り、いまこの教室や家庭教師対応での営業が、改めて意味のあることになるように感じます。

学校から出される宿題が圧倒的に多く、そしてその大半はまだ習っていないところを自分で、教科書を読むなどをして進めておくように、休みが終わったら提出するように、というものがほとんどです。これではある程度できる子や、学習の意義を理解している子しか進められないでしょう。

今までの学習が、「短期目標としてテストや入試の成績を取ること」に主眼が置かれることが多く、同じ間違いを繰り返すと、考え直す機会を与えられないまま怒られてしまったり、あるいは、どうしてもわからないので質問しにいくと「普段の授業態度が悪いからわからないのだ」と話を片付けられてしまい、考えを述べたり、確かめる機会を失う子供が多いように感じています。


大人の世界では、同じ失敗を何度もすることは許されないでしょう。でもそれは「誰かに迷惑をかけてしまうから」許されないのであって、わからないことをわからないと言うことや、テストで同じ間違いを繰り返してしまうことは、果たして「誰かに迷惑をかけている」ことなのでしょうか。

強いて言えば、親の立場では、大人が汗水流して子供を育て、働いたお金を養育費にかけているのだから、「効率よく学んでもらわないと」「〇〇をやらせている以上は費用対効果を」という思いが叶わなかったとき、「こんなにしてやったのに、何のために苦労してきたんだ」と思うのかもしれません。

先生の立場でも同様に、「夜なべをしてみんなにわかりやすい授業の組み立てを考えていたのに無駄にされた」「みんなのためを思ってプリントを(子供が捌き切れるかどうかは別として)時間をかけて作ったのに」などと思うのかもしれません。

もちろん私もごくまれに「明け方の3時半までかけてこのプリントを作ったのに、全く読まないで、全く使われないで終わるのは悲しい」などと言うこともあります。

でも子供にも、言い分があるのでしょう。

大人のように、言葉の種類が多いわけではないことが多く、また、相手にとって適切な話し方ができるスキルも整っていないことも多いので、大人にとっては「生意気に」と感じるような発言もあるのかもしれません。そんなときは、大人のほうが「この子たちに自分の気持ちをぶつけてないか、無理に理解してもらおうとしていないか」と一呼吸を置くとよいのかもしれませんね。

そうやって、いろいろ発言していく中で、適切な話し方が身につくでしょうし、最終的には学ぶ意欲や、主体的に生きる意欲に結びつくのではないか、と思います。


子供の立場、大人の立場。

それぞれの立場を思いつつ、今回のコロナ休校に際して宿題のお手伝いをさせていただいております。ゲーム三昧もガリ勉も結構だと思いますが、自分の気持ちがニュートラルになる(何にも寄りかかっていない)あるがままの状態を思い浮かべることが、このような非常事態で大事になるように思います。

のめり込んでも良いけど、次の行動を起こす前にいったん心を鎮める。

オンラインゲームで負けた面白くない気持ちを引きずって、乗り気のしない勉強を進める前に、まずは深呼吸。
「勉強してるのか?」と聞かれてイライラする気持ちを引きずって、ダラダラ机に向かう前に、まずは深呼吸。


そして、このコロナ休校期間は、もう慣れてしまったかもしれませんが、日本はおろか世界の歴史が変わる変革点にあります。今までのなんとなくという暮らしには、完全には戻れないでしょう。時代が大きく変わります。そのときに、「誰かに言われたからやる」という生き方が続くと、変化についていけなくなり、人生がつまらなくなります。変化の時代を、柔軟な思考で楽しむ土台づくりについて、考えてみませんか。

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