20230109 7年間の蓄積から

おかげさまで7周年

あけましておめでとうございます。

新たな年を迎え、まもなく10日になろうとしており、
寒暖差の激しい日々ですが、いかがお過ごしでしょうか。

私はといえば、お正月は少し休んだものの、公私ともども、
いろいろと準備しなければならないことがあったため、
ようやく一息入れられたかどうかという状況ですが、
どうにかやっているところです。

さて、さる1月4日、当教室は創業7周年を迎えました。

最近では、コロナ禍の時節柄であったことに加え、
教室も次から次へと新たな展開を迎えていたため、
昔のような歴史ワークショップなど、一般の皆様との
交流イベントなどもできずにいますが、

そのぶん、日頃よりご利用いただいている学生さんへの
自分ができる限り最大限のフォローに努めることとし、
昨年は、史上最多の生徒数で1年を終えることができました。

改めまして、皆様に厚く御礼申し上げます。
ありがとうございます。

創業時から変わらぬもの

当教室は、2016年1月の創業より、
「学習指導要領が、”生きる力”を育む方向に変わる」
と声を上げ続けております。

もちろん、学びの場において、テストなどにより、
知識・技能の定着が測定されること、
そしてそれが重要視されるということについては、
異論を待たないものではあります。

しかし、問題はその「テストの内容」どころか、
普段の学びについても変わる、ということにありました。

事実、学習指導要領は、2020年の小学校分から、
そのように変わっていきました。

「主体的・対話的で深い学び」

これは何を意味するのかというと、当教室は
次のようにとらえております。

①行動基準を他人任せばかりにせず
②自己と価値観を違える他者との見解に折り合いをつけながら
③未経験のことがらでも、仮説・検証などを活用して取り組む

これらのことは、実は社会に出てからものすごく大切なことなのですが、

残念ながら、大人になったとしても、
「誰かに言われたから」または「言われていないから」
「どうしてあの人ばっかりよくて自分はダメなのか」または「自分の思い通りにいかないからもうそれはやらない」
「やったことがないからわからない」または「これはやったことがあるから任せて(と自分だけが活躍できるようにしてしまう)」

そういったネガティブさが、足の引っ張り合いを生み出してしまうこともありますよね。

とはいえ、無論人間ですから、ネガティブな気持ちも避けては通れないでしょう。

そういったときに、状況を見極めて、折り合いをつけられるように。

実は、当教室での指導に際して、基本方針は
日々の学びが、真の意味での主体的・対話的で深い学びにつなげられるよう補助する
ということであり、それをこの7年間
(いろいろなことはありましたが)貫いてきたのです。

気づき:教育指導の現場にもっと望まれるもの

他方、私自身、教育関係の出身ではなかったのですが、
長年、「持続可能な人材・地域づくり」に関心を寄せ続けております。

いまの教育現場、そして会社での人材育成など、
「最近の子どもたちは」「最近の若い人は」
いつの時代もそうやって言われてはいますが、

人口がどんどん減っていくこの時代に、
世代間対立を煽っても、誰も得しないと、
私個人としては思っています。

「なんでそれぐらいのこともできないの」
「私だってもう少し勉強した・努力したわ」
「暗記すれば・がんばればもっとできるでしょう」

という言葉が飛び交う場面も、あるのではないでしょうか?

だからといって、

「それぐらいのこと」に直面して、「できずに苦しんでいる」のは、子ども、後輩、後進の者で、
「もう少し勉強した」としても、そもそも自分に合った考え方などが身についていないうちに、
効率や得点ばかりを追求してもどうにもなりませんし、
その状態で「暗記」「がんばる」といっても…。

というわけで。

「認める」ということ

承認欲求の時代と呼ばれて久しくなったものですね。

特別感を感じられる世界の大小はあれど、自分は特別、という感覚は快い感情なのかもしれません。
しかし、その快さの影に、誰かの不快感情が影を落としている、ということもありえます。

褒めるか貶すか、勝つか負けるか。

そういう価値観ではなく、

「もう少し、君がそう思った理由を聞かせてほしいな」
「そうか、君はそう思ったんだね」
「おお、そうきたか。面白いかもね。」
という、「認める」というフラットなところから話を始めることに慣れると、
過剰でも過小でもない「確かな自信」を一つ一つ積み重ねられるようになります。

最初は、きっと意地や恥ずかしさが邪魔をして、ぎこちなかったりするとは思います。
「そんな暇がないから言っているのだ」と思うこともあるでしょう。

しかし、「どうしてできないの!」「どうしてやらないの!」「それってダメじゃないの!?」
と、否定から入ってしまっては、いくら親しい仲であっても、親子・上下関係であったとしても、
人間関係の根幹が一気に崩れてしまうことになります。

そして、一度それを経験してしまうと、「確かな自信」づくりに影を落とすこともあります。

「なるほど、そうきたか」がもっと聞こえれば

「教える」「教わる」の現場に、
「なるほど、そうきたか」といった、「いったん聞き入れる」ことばが、
もっと聞こえるようになれば、きっと教育や人材育成ももっとスムーズになるのでは、
と考えています。

というわけで・・・

8年目の共生舎:気づきの促進と認容

学習・育成の場をポジティブなものにしていくことを
掲げて参りたいと思います。

今年もよろしくお願い申し上げます。

20230109 7年間の蓄積から
トップへ戻る
PAGE TOP