20220408 幼少期~低学年の学習姿勢 ②

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こんにちは!
室蘭はいったん雪が降ったものの、
少しずつ桜の木が色づきはじめました。

ここ、室蘭八幡宮の桜は、
室蘭の桜の開花を示す標準木となっています。

さて。

前回は、「勉強」と聞いたときの
感情にフォーカスして、

お子さんが「勉強しろ」と
言われた時の気持ちを
想像してみましょう、

というお話でした。

今回は、

「遊びと学びは別モノと、誰が決めた?」
という観点で、一緒に考えてみましょう。

よく遊び、よく学べ

という言葉、耳にしたことはありますか?

幼少期では、特に遊びのウェイトが
大きくなってくると思います。

ここで、ちょっと私の事例を
お話させていただきますので、

皆さんがどう感じたか
教えていただけると幸いです。

数遊びの意識

物心ついたころは、あまり外遊びを
するようなタイプではありませんでした。

純粋に、数の数え上げなどが楽しくて、
「れんぞくすう」というシートに
数をひたすら書いていくのが
日課のようなものでした。

その側面だけ見ていれば、
きっと「変わった子だ」とか
「勉強ばっかり」とか
そういったレッテルがつくのでしょう。

しかし、当の本人は、というと、

まったく勉強している気持ちでは
ありませんでした。

数の法則に単純に魅せられていた
それだけだったのです。

「遊び」なのに…

とはいえ、ちゃんと
「普通の遊び」もしていました。

ゲーム機も、カードゲームも、
外遊びも、少しずつ覚えていきました。

私にとっては、数遊びも普通の遊びも、
「遊び」であったのです。

そうやって、いろんなことを
楽しく吸収していこう、
と思っていたのですが、

ある時、学校の担任に
こんなことを言われたことがありました。

先取の学習はさせないでくれ

「勉強」って、なんだろう?

本人も、親も、
「勉強」というイメージは
ほぼほぼ、ありませんでした。

帰宅してからの自主学習だって、
自分が楽しくて勉強していたし、

学んだことをノートに書いて
見てほしかったし、
そこから話題を広げてほしかった。

でも、そこにはまた別の「学び」が
存在した、ということです。

あれからもう、30年近く経った
今だからこそわかるのですが、

自分ができる!と言うだけではダメ
周囲との関係性

という、一般的な「学業」の意味とは
ちょっと違った「学び」を
感じ取ってほしかったのだと思います。

はい、確かに扱いづらい子供だったと思います。スミマセン。
あ、今も扱いづらい大人、か。なんて。

勉強は苦しくないとダメだと誰が決めた?

もし、勉強が、

普通のヒトにとって崇高に思えるような
苦行のことを指すのであれば、

学校で学んでいるすべての学生さんは
みな崇高な苦行に挑んでいる
ということになるでしょう。

そして、いまその「苦行」に挑んでいない
大人たちが、余暇を持て余しながら
「苦行」を強いているのであれば、

それほど説得力のないものはないでしょう。

学びで得られるものは
楽しいものである!!

であれば、
楽しく吸収していってもよいのではないか?

少なくとも、社会的責任が
軽い幼少期までは。

ただ、そこに社会的責任が加わる話になれば
それはまた別の議論となりますが。
(例えば、幼少期から投資する場合は、
 保護者が負う責任などもありますし)

次回は、
「気づき」の共有、というお話をしたいと思います!

お読みいただきありがとうございます。

20220408 幼少期~低学年の学習姿勢 ②
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